何のために趣味を楽しむか?

みんなでワイワイ

こんにちは、しーらです。今回はサバゲーに関係あったりなかったりします。趣味という単語に関するモヤモヤを自分なりに話してみようと思います。

飽き性で多趣味な自分

もともと、自分はかなりの飽き性で、ちょっとしたきっかけですぐやめてしまうことが多いです。まるで餌を食い散らかしたしつけのなってない動物のようですね(笑)今まで携わってきた趣味を挙げると、

  • 音楽活動(同人含む)
  • アニメ
  • ゲーム(コンシューマー、ソシャゲ。ゲーセン通いも含む)
  • 読書(漫画、小説)
  • 創作活動(小説)
  • ダーツ
  • サバゲー
  • 麻雀
  • 食べ(飲み)歩き

覚えているだけでもこんなにありました。ハマると金遣いが途端に荒くなるので、ゲーセン通いの時は月10万くらいかかっていた記憶があります。現在は落ち着いていますが、ダーツは毎日3時間以上は投げていました。それが一年で辞めてしまうのはある意味才能だなと思います(笑)

目的のない趣味は暇つぶしと同じ

目的のない趣味ほどつまらないものはありません。「暇つぶし」でも楽しい人はいますし、それは良いことだと思います。

でも、楽しくないのに暇つぶしで趣味をやっている人はなぜ続けているのかよくわかりません。世の中にはいろんな娯楽があるのでチャレンジしてみればいいのになと思います。年齢のこともあるので一概に言えませんが、チャレンジ精神がない人と遊ぶのは結構つまらないことが多いです。

「趣味」を盾に誰かを否定してはいけない

昨今、「自治行為」と称して同じ趣味の人を攻撃したり否定するという場面が目立つようになりました(あくまで氷山の一角で、もともとどんな趣味の界隈でも存在していたと思います

でも、それは果たして正しい行為かというとそうとは限りません。犯罪行為ならばどうしても否定的な意見はでますが、確証のないまま断定するのはお互いに良い結果に落ち着きません。

現象、根拠、代案。この3つを念頭に議論が交わされなければそれはただの子供の喧嘩に等しい行為です。

「趣味を存続させるため」という信念は部外者にとって都合のいい方便になりがちということを忘れないようにしたいですね。

趣味の満足を他者に依存しないほうがいい

趣味を楽しむということは「満足感」があります。しかし、それが「他者の共感」でしか得られないとしたらどうでしょう。純粋に趣味を楽しんでいた時と事情は変わってきます。

共感を得るために必要のないものを買い、やりたくないことをやる、果てはマナー違反までしてしまうかもしれません。それはとても悲しい行為なのではないでしょうか。

まとめ:自分が楽しく過ごすための「趣味」なのだという認識が必要

結局、趣味とは自分が楽しく過ごすための手段に過ぎません。それ以上だと「ライフワーク」それ以下だと「仕事」と言えるでしょう。あいにく、そういった認識ではない人は少なからずいるようです。まあ、だからといってそれを否定することはしませんが……。

ただ、通常とは異なる認識で趣味にいそしむ人は果たして充実しているのかというのが気になります。やはり、同じ趣味にいる同好の士であるならば、みんながみんな楽しく過ごすように努めてしかるべきです。

私も完璧超人ではないので至らない部分が多々ありますが、このブログを見てくれている方に対して誠実な意見をこれからも述べていきたいです。それこそが、自分の趣味にかかわるコミュニティの発展につながると信じて。

 

それではまた明日。

 

 

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